
孝行したかッ!?
私は次男で、上には長兄と長姉がいて私達は5人の兄弟姉妹であったが、2人とも戦中,戦後の混乱の中で幼くしてなくなり、私達は3人姉弟として育てられてきた。
母はわが子に先立たれると言う、母親として最大の悲しみを背負い、かつまた実弟を戦争で亡くすると言う過酷な試練を受けながらしかし、そう言う悲しみを私達にはまったく見せることなく、常に私達の傍らにいて安らぎと温もりを与えてくれ、私はその安寧の中にどっぷりつかってぬくぬくと育って来た。迂闊にも私は母の悲しみに気づくことなく、そうして十数年前に父が他界するまでのおよそ半世紀の間,私達は家族の誰とも死別することなく平和に暮らしてきたわけである。
その父が下手な横好きで日曜大工をやっていた時のこと・・。 母が傍で手伝っている。思い込みの激しい父はよく手順を間違う。傍で見ている母には岡目八目でそれがよく分かるので、『お父ちゃん,そこは違うよ。〇〇せんとダメじゃけぇ~』と口を挟む。癇癪持ちの父は『要らんことを言うな』と怒るのだが自分を曲げないので失敗する。
『じゃけぇ 言うたじゃないネッ』と言おうものなら、それを待っていたように『ほら見ぃ,おまえが余計なことを言うけぇ 間違うたじゃろうが!』と自分の失敗を棚に上げ、目を三角にして怒りだす。
母は父の癇癪の餌食になることで父の苛立ちを和らげているわけだが、側で一部始終を見ている私にそんな夫婦間の機微が分かろう筈もなく、理不尽な父の言い様に『何を言うちょるか、このクソ親父!』と腹を立てる。腹は立てても父は恐かったしトンカチを持っているわけだから、口を尖らせて睨み付けるのが関の山である。で、母を見ると横を向いてクスリッと笑ってから目で私を制する。
『いつものことだから・・』と笑い流す一方で『そんな目で親を見てはいけないよ』と私を諭しているのだ。けれど、私が母のために父に腹を立てていることをしっかりと受け止めてくれている~,私にはそれが分かる。そこには、母親が精一杯の愛を示し、子どもがそれに精一杯応える,と言う母と私だけの濃密な心の通い合いがあった。

こうして親と子が互いに相手を思い、子が親の愛を全身で受け止めて愛され、かけがえの無い時間を共有すること,そのことこそが最大の親孝行であり恩返しなのではないかと思う。
自分自身は最後まで家に寄りつかず心配をかけ通した不肖の息子であり、最後を看取ることも出来なかった。しかし言い訳になるが後年の親に対す諸々のことがらは半分は『責務』である。純粋な意味での親への恩返しは愛される時にしっかりと愛されることであり、その時点でそれに応えることであると思う。自分はその点で存分に母の愛に応えたと思っている。
50余年を遡れば、たくさんの親族の中でも母と共にあったのは私達3人の姉弟だけであり、三人が三様にそれぞれ、母と濃密な関係を結び、かけがえの無い時を共有して今日に至った。
私達がそれぞれに母との想い出に浸り、対話を交わすのはこれからである。
1;母と長女
2;亡長男
3;亡長女